みたり・きいたり 『主一人』 W 

主一人 書き込み帳

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    京都市教育功労者の表彰  11月1日 

    受賞しました
    これは毎朝30年間、
    砂川小学校登校児童の交差点での誘導を評価されたようです。
    嬉しいです。これからも健康であるかぎり続けたいと思います。
    みなさん見守って下さい!  (内田編集長) 





    キャンプに行って来ました  & 家島諸島のこと  7月25〜27日の3日間 
    、

    行き場所は、兵庫県姫路港から約20キロ(船で40分)海上の無人島ですが
    兵庫県が施設した母と子の島です。
    船着き場からキャンプ場までは峠を越えて約30分歩きました。

    宿泊施設は小高い丘に点在するロッジです。
    遠浅の砂浜を見て子ども達は歓声をあげていました。

    初日は、午後一泳ぎした後、夕食は焼きそば、そして真っ暗な浜辺をナイトウオークしました。

    


    2日目の午前は魚釣りや山登りそしてドッジボールとそれぞれ自由な時間です。
    昼はカレーライス。みんな食欲旺盛。瞬く間に平らげていました。
    テーブル足元には放し飼いにされている合鴨が餌をねだりにいっぱい集まってきていました。

    午後は海水浴。私も子ども達と一緒に海へ入って水のかけっこしたり泳いだりしました。
    泳げました。何十年ぶりでしょうか? 

    


    キャンプの締めくくりはキャンプファイヤーです。
    日頃親交を続けている摂津児童センター児童25名と合流しました。

    着火式です。
    火之神が登場して幻想的なパフォーマンスには子ども達もしんみり。
    続いての数々のゲームをして遊びました。
    最後はボランティアマン吉田さんのギターと歌「見上げてご覧夜の星を…」でフィナーレしまた。

    今回のキャンプ、子ども達は初めての者とと経験者と半々です。
    就寝時間の夜10時半、低学年は待ちかねたようにもうぐっすりですが、
    高学年はこのときこそとばかり遅くまで騒いでいてスタッフに注意されていました。

    少し傷害を持つ子どもが2人、いずれもスタッフの献身的介添えで克服していました。

    私はカメラマンに徹するつもりでしたが、
    いつのまにか子ども達と一緒に遊ぶことに熱中してしまって・・・。

    家島諸島のこと  

    この度キャンプに行った母と子の島は、姫路港から約20キロ離れた瀬戸内海、家島諸島の一つです。
    ここは、兵庫県飾磨郡家島町・・といって、家島本島、男鹿(だんが)島、坊勢(ぼうぜ)島、西島と
    大きな島を含めて42の島々からなっています。

    家島本島には町役場があり、約5000の住民が居住しています。坊勢島には3000人、男鹿島には約200人です。
    母と子の施設のある西島は、無人島なんですが近頃、採石者が約100人ほど住み着いているそうです。

    島の水は、対岸の赤穂市から海底を通ってパイプでひっぱているそうです。
    電気も海底ケーブル、ガスはプロパンです。
    島の診療所で物足りない人たちは姫路まで足を運びます。
    島のパチンコは出が悪いから、これも姫路へ出かけます。
    島の人々の職業は、漁師と海運業と、採石業とに分類されます。

    採石は、昔からこれらの島を削って土木建築用に役立たせてきた。
    豊臣秀吉の大阪城築城にもここから運ばれたとか・・・
    船から見ると、あちらこちらに削りとられた島のすがたが目立ちます。
    最近における公共工事の減少で操業がいちだんと減ったようだ。

    海のあちらこちらに大きな貨物船の停泊が目立ちました。
    採石運搬船です。これも仕事がないので停泊しているそうです。

    初めて訪れる機会を得た瀬戸内海、船が進むにつれて見え隠れする島々そして紺碧の空 しばし景色に酔いました。

    

    


   丹後半島一週 23時間530キロドライブ    


     今年の五月は梅雨のはしりと、初夏の気候が交互したお天気でした。 
     その晴天の日丹後の海沿いをドライブしました。

     おりからの満月は、金銀の砂を撒いたように日本海に煌めいていました。
     そして夜明けの真っ赤な太陽の昇るのを見ました。
     このような自然との出会いは何十年ぶりのことです。 感動でした。

     丹後半島の北東端にある経ヶ岬灯台に行きました。
     この灯台は映画「喜びも悲しみも・・・」に登場して有名です。
     崖っぷちの灯台までの坂道簡単に登れそうでしたが、とたんに急な石段の連続です。
     先日京都鞍馬寺の急な石段と同じです。あの2日後体調を崩しました。そのことが思い浮かんだのですが、登りました。
     この灯台は、明治31年に建てられ、今でも日本海を航行する船舶の安全を見守っています。



      伊根漁港に行きました。
      ちょうど魚の水揚げをしているところです。今朝捕った魚を漁船の水槽からポンプで吸い上げて、
     岸のコンベアに流しています。その流れでてくるところに大勢の人達が集まっています。
     聞けば魚を商売にする人や一般の人も一緒だそうです。
     コンベアから流れてくる魚、大きい小さいを分けながら手持ちの笊に受け、それを計ってもらって精算します。

    


     伊根は舟屋の存在で有名な観光地です。
     舟屋とは、海辺に面して建つた家の下に舟を引き込み、上を住まいにした建物です。舟のガレージですね。
     それが昔からあって今でも230軒並んでいるんです。
     この地域は昔、道路と言えば人一人がようやく通れる程度の極端な僻地でした。
     だから舟は地域の外に通じる唯一の交通手段でもあったのです。
     今は道路も整備され、車で往来出来るようになったことと舟も大型になったので、
     舟屋としては殆ど機能せず、物置や、機織り場、中には土産物屋などに、なった観光的存在です。
     2階は民宿になったり、若者の宿舎に利用しているそうです。
     今回は遊覧船でカモメが飛び交う海からそれを眺めることが出来ました。

     従来私のドライブは、ただ走るだけでした。が今回は、23時間をかけて530キロ風物を楽しみました。
     ところどころでは、車を降りて時間をかけて景色を眺め、人々の営みを見学することが出来ました。
     23時間、走りっぱなしではありません。疲れたら眠くなったら空き地を見つけて休憩します。
     気楽なドライブでした。

    

体力の限界を自覚して、無理しちゃいけないことを悟りました。

   今朝起きたら腹痛がひどい。下痢がまとも。
   そして、頭もギンギンしていたい。体全体がだるい。
   近頃にこんなことって経験したこと無い。
   なにも悪い物を食べたり特別なことした覚えないのにどうしたんだろう?
   それとも何か悪い病気が隠れていて、出てきたのだろうか?
   そろそろ年齢かな?ついついいろんなことを考えました。

   娘に言ったら
   「おととい 無理して沢山歩いたからでしょう?」
   「でもその時はどうもなかったんだよ 今朝からだよ」
   「疲れは日にちがたってから出るもんでしょう!」

   そうなんです。原因がありました。
   5月12日の日曜日 いいお天気だったので歩きに出かけたのです。

   
   家の近くを鴨川が流れています。
   その川縁を、歩いたり走ったり魚釣りして多くの人が楽しんでいます。

   以前、くいな橋と言うところから川下へ淀まで歩きました。
   10キロ2時間でした。今度はその反対方向川上を目指しました。
   午前11時出発です。今日も多くの人たちを見かけました。

   川縁ですから 道のあるところ無いところいろいろです。
   凸凹してたり石ころに足を取られそうになったり ・・・
   整備されている道路では自転車によく行き交いました。

   橋の下にはホームレスの小屋が多くあります。間近に見たのは初めてです。
   家財道具?一式そろえてる人もあれば、小屋だけの人もいます。
   どうやって暮らしているのかなー など考えながら見て通りました。

   1時間半かかって 三条大橋にたどり着き休憩しました。約6キロです。
   午後1時半 今出川大橋です。ここまで8キロ半。正味2時間です。
   ここから川は鴨川と高野川の二つに分かれます。
   どちらを行こうかなと思いましたが空腹を感じてきたので、道路へ出ました。

   出たところにハンバーガーショップのお店、一人で入ったことはありません。
   いわゆるセルフサービスです。ハンバーグと飲み物で320円
   コーヒー一杯分より安い。自分でテーブルに運び、終わったら自分で片づける。
   コストの安い分だけ単価も安くしてることに納得です。ヤングでいっぱいでした。

   お店の横は電車の乗り場です。何処行きと覗いたら鞍馬行きでした。
   鞍馬は40年ほど前マイカーで行きましたが、道が狭くって困りました。
   電車で行くのもいいか って感じで乗りました。30分で終点です。
   終点駅に温泉行きの送迎バスが止まっていたので乗り込みました。まもなく到着。

   露天風呂があるんです。周囲は新緑の真っ最中 まさに森林浴とあわせてゆったりとした
   気分を味わいました。 料金はタオル代を併せて1300円 一回切りです。
   たった15分の入浴には少しもったいない気もしましたが久しぶりにぜいたくしました。

  


   鞍馬寺は駅の近くです。途中まではケーブルがあると言うことで登ってみました。
   急な坂道をケーブルが登ります。降りて直ぐかと思ったのですがそれからが大変。

   ここも急な石段が続きます。これを登ったらと思いきやまだまだ先がある。
   何度ももう限界だと思いました。でもここまで来たんだからの思いに支えられて・・・
   とうとう本山に着きました。周りを太い木立に囲まれた荘厳な佇まいです。

   帰りは一路電車に委ねました。6時帰宅。
   とうとうやったという充実感はひとしおでした。

   その日は少し疲れただけという感覚。翌日も多少疲れは残っているもののどうということなし。 
   身体の不調が現れたのは3日目でした。一昨日の無理な行動がたたったのです。
   年齢的に無理しちゃいけないとは わかっていたつもりなんです。
   ところが、無理とは何なのか、無理したらどうなる、体調が崩れるとは?
   わかっていなかったのです。幼稚というかおろかというか。
   今初めて知りました。が、夕方にはほとんど回復しました。

   これからは 何事もほどほどにしようと思います。



      ふるさと 水橋町の花火とご神火流し

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    平成13年7月28・29日、富山市の海岸 水橋町へドライブしました。

    水橋町ってご存じない方が多いでしょうね。
    大正の初期に起こった 米騒動の発端の地なんです。
    小さな漁師町、そして売薬さんの町なんです。

    私、小学生時代をここで過ごしました。65年あまりも前です。
    初恋をして今もプラトニックラブとして続いている懐かしの町です

    子どもの頃、町の真ん中を流れる幅200余メートル白岩川でよく泳ぎました。

    川にかかる橋の袂にある水神社のお祭り、居並ぶ露店、境内にかかる大きい芝居小屋、
    そして夜、川面を彩るご神火流し、楽しみの一つでした。

    今でもやってるのかなと思って、在住の親友に聞きました。
    「戦中、戦後は一時期中断してたけど、いまは盛大に続けているよ」って。

    7月28日(土) その祭りを見に行きました。

    芝居小屋はなかったものの、境内から道路まで幾百と並ぶ露店。
    私の小学生時代に数倍する賑わいです。

    雑踏を行き交うのはほとんどがヤング。
    その風俗、耳にする方言が無ければ大都会と変わらない。

    花火は、都会地から見ると少し規模は小さい。しかし豪華でした。
    私の目当ては、ご神火流しです。油を浸みこました綿花を紙ボールで囲み、
    それを段ボール板の上に載せ点火して水面に浮かべ流すのです。
    1万個以上のご神火が、200メートルの川幅いっぱいになって
    ゆらゆらと流れてゆく様は、まさに幻想的です。感動しました。
    それが約300メートル先の海にまで続くのです。

    私にとっては、この夏最高の思い出となりました。
    水橋町は懐かしい町です。



「主夫」「主一人」の一日 テレビ放映されました 

   NHK教育TVによる「老後の独り暮らし」をテーマにしたシリーズ中で、
   男性の場合として私の「主夫」そして「主一人」の過ごし方が、去る2月22日登場しました。

   放映画像は、十数時間の取材をたった20分そこそこに編集されたので、カットカットの連続場面でした。

   中でもカラオケの場面が、時間と構成の都合とかでカットされたのは非常に残念でした。
   参加して頂いた方々に申し訳なく、お詫びします。

   「主夫」というと、掃除・洗濯・買い物・料理が定番なんでしょうか、洗濯物干しでは下着まで映っているなど、
   そのあたりがしっかり過ぎるくらい編集されていました。

   企画では、定年退職後の男性がもし一人になったとき、その生き方を考えることが狙いだったようです。
   パチンコ・競輪・競馬或いは旅行などで、心を癒していることが紹介されていました。わびしいと思います。

   私だったら、定年退職は職場環境の社会と縁が切れたのですから、
   これから毎日を暮らす居住環境としての地域社会の中に生きがいを求めてゆくことを選びますね。
   地域社会はその方々の仲間入りを大いに歓迎しますよ。

   放映の終わった直後からお電話・メール・お手紙・直接声を掛けられたり数多くの反応を頂きました。
   「よくやっているね、これからもがんばってー」
   殆どが励ましです。感謝!

   中には  「料理一つしたことないうちの旦那さんにも、見習ってほしいわ」
   尻を叩かれる材料にもなったこの番組、世の旦那さんにとって迷惑でしたよね。
   「一人になったらなった時、やらなければ生きていけないんですから、なんとかなりますよ」
   ってことです。

   私の画像。自然に振る舞っていたつもりなんですが、どこかぎごちない。がっかり。
   やはり、緊張していたのでしょうね。  まっ いっか
   タレントじゃないんだから。

   多くの方々に見て頂いて、有り難うございました。

  「主夫」そして「主一人」 2月2〜4日の3日間、
NHK教育TVの密着取材を受けました

編集長の居間にNHKのカメラが
NHKの取材を受ける編集長

   先ず朝7時 ピンポン、ドアーを開けるとそこにはディレクター・カメラ・録音・照明のスタッフが
   それぞれの機材を担いで立っていました。事前に打ち合わせてはいたんですが、
   いざ目前にするとドキッです。

   キッチンでお湯を沸かして紅茶をいれ、トーストサンドをつくり、
   卵を焼いて朝食をとるところから収録が始まりました。

   8時 26年間続けている登校児童の交差点での誘導の様子です。
   その日も寒い中を子ども達は元気で横断歩道を渡りましたが、自動車はいつもより徐行していました。

   午前 部屋の掃除と洗濯物をぶらさげる。

   10時30分 うずらの里児童館で、親子クラブお遊びの姿を収録です。

   午後 亡き妻泰子の写真の前で介護時の様子説明。パソコンで「にしうら」の編集してるところ。

   4時 買い物。今夜は肉じゃがを作る予定なのでいつも行っているサンハウスで食材の買い付けです。
   お店の方もお客さんもびっくりされていました。

   5時 娘の家で孫との一時を。娘は「一人ぐらしの父親について」マイクを向けられていました。

   6時 用意した肉じゃがとピクルス(泰子から伝わった即席の西洋漬物)の調理です。
   味見は上出来だったようです。(お世辞?)

   8時 仲間と一緒のカラオケを録画。仕事を終えたスタッフも交じって一緒に乾杯しました。

   録画が終わりスタッフが帰ったあと、普段通りを装っていたつもりが、やはり緊張していたのか…、
   その夜は早く寝ました。

   3日間で延べ十数時間のフイルムを、わずか20分そこそこに縮める編集結果が楽しみです。

 放映は2月22日午後7時10分〜NHK教育TV。



『主夫』NHK(東京)ラジオ放送に生出演

スタジオにて(遠見アナウンサー・主夫) 


   去る9月13日、NHKラジオ放送「いきいき倶楽部」午前10〜11時の時間帯に、
   『主夫』が在宅介護をテーマにトーク番組に出演しました。

 
   スタジオ入り前、 どっきん どっきん です。

   スタジオでは、私が書いた「主夫してます」を基に、ベテランアナウンサー二見さんの巧みな
   誘導による対談形式だったので割と落ち着きました。

   在宅介護体験談というと、どうしても苦労話のように取られがちなので、
   出来るだけさりげなく話したつもりです。

   話しの中で、この体験ををインターネットを通じてホームページにオープンしたくだりでは
   「にしうら」を紹介しました。そして西浦町並びにうずらの里児童館のことを。

   おかげでホームページの接続回数が増え、またメールもたくさん頂きました。
   ところが、終わり頃大きなドジをしたんです。

   私 泰子といつも一緒にいるつもりで粉にした遺骨をペンダントに納めています。ところが、
   そのチェーンがシルバーなので、汗と汚れの目立っ夏場は首から外してウエストポーチに入れていました。

   「この話、泰子さんは天国で聞いていらっしゃるでしょうね」
   「私 泰子とはいつも一緒なんです ここに」
   ってウエストポーチから取りだそうとしたら 無いんです。

   一瞬血の気が引きました。
   「無い 無い 落としたんやろうか」

   生放送も忘れた私の慌てぶりを、二見アナウンサーがうまくカバーされたので
   それ以上の醜態は避けられましたが…。

   でも私の頭の中ではペンダントの行方のことばかり。二つとないものものだけに… 
   確率は昨夜のホテルのベッドの上です。

   この日の念願はスタジオ見学だったので、係りの方に案内はして頂いたのですが、そこそこにして、
   ホテルに駆けつけました。

   確信はあったものの、フロントでペンダントと再会したときは嬉しくって涙が出そうになりました。
   それを握りしめて
   「泰子 ごめん」

   泰子にとっては久しぶりのホテル泊、ベッドの温もりをゆっくり味わいたかったのかも知れませんね。

   帰路、NHKの出演料に+して、プラチナのチェーンを購入しました。
   これで永久です。

   「もう絶対に放さないから」

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