みたり・きいたり 『主一人』 V 

主一人 書き込み帳

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 シルクロード・敦煌 の旅 @
 



 中国/敦煌郊外砂漠「 鳴 沙 山 」 中国環境科学出版社の写真より  


    6月17日から24日までの7泊8日、中国/シルクロード・敦煌そして西安の兵馬俑を訪れました。

    シルクロードは、古い時代にアジアとヨーロッパの交流を促した通路。
    起点は中国の西安(当時の長安)から欧州のローマに到る道です。

    私少年の頃、その昔三蔵法師という中国の坊さんが、インドへお経の本を貰に行った物語、
    西遊記を読みました。三蔵法師を助けて一緒に旅をする孫悟空や猪八戒・沙悟浄らが大活躍します。
    山全体が火と燃えて焼かれそうになるところを、芭蕉扇であおいで火を消して難を逃れる話等々、
    当時は胸をわくわく幻の世界でした。その通った道がシルクロードだったのです。
    少年の頃の幻の世界を今訪れることが出来るのです。夢のようです。

    敦煌は、砂漠の中のオアシス都市沙州(=今の敦煌市)の近郊にある洞窟に納められた数多くの壁画や 
    彫刻のあることで知られています。中でも、日本の平山郁夫画伯によって紹介された観音菩薩は有名です。

    また13年前、日中共同で製作されたの映画「敦煌」のセットがそのまま残されているのです。
    砂漠の真ん中に城壁を巡らし、町家の有り様が当時の面影をそっくり見れるのです。あこがれです。

    兵馬俑は、西安の郊外にある泰の始皇帝の墓陵を護るために、その近くに埋められた一万体もの、
    等身大の武者人形群や馬や武器などが発掘されたところです。
    2千数百年前に作られたものがそのまま残っているという。テレビでは何回も見てはいましたが、
    その実物を見ることが出来る。魅力です。

    第1日目
    関西空港午前10時出発
    中国/西安空港着午後2時  (日本との時間差1時間・以下中国時間です)

    西安市内観光の後、午後7時西安空港出発。快晴。
    一万二千bの上空から見えるのは、木が一本も生えてない赤茶けた山、六千b級の山には万年雪も見えます。
    そして砂漠です。ときどき大きな綿のような雲が沸き上がってきます。

    この壮大な景色の中を飛んでいると、西遊記に出てくる孫悟空が、金斗雲(=ジェットエンジンのついた雲)
    に乗って三蔵法師を助けにゆく情景に重なりました



雲の上を飛んでいます


    中国西方新疆ウイグル自治区の首府ウルムチに到着しました。
    時間は午後10時なのにまだ明るいのです。ここは中國標準時間を決めた北京からの時間差が2時間、
    3時間差のある日本時間では午後7時です。納得しました。  
    今日の飛行は2度飛んで距離は5千`。6時間。

 

  みたり・きいたり 『主一人』 19   

 
 シルクロード・敦煌 の旅 A
 

「にしうら」254号(12年8月発行)に掲載を予定しています

    第2日目(6月18日)
    ウルムチの大通りにニセアカシア街路樹が延々と続く。市内の博物館等を見学した後バスでトルファンに向かう。
    砂漠のド真ん中、行く手は文字どおり地平線まで一直線に延びる高速道路を走る。

    トルファンはオアシス都市。砂漠の中で水の出るところに樹木が生え人が集まり都市になる。
    昨日訪れたウルムチ、これから訪れる敦煌もオアシス都市なのです。 
    東にゴビ砂漠、西にタクラマカン砂漠、北は天山山脈、南は崑崙山脈、
    その中あるオアシス都市を通ってシルクロードが出来たのがわかる。

    このオアシスには、万年雪の積もる天山山脈や崑崙山脈の溶け水が河川となった畔に出来たものや、
    地下水となって流れ湧出した泉のところにできたものがあります。

地平線まで延びる高速道路
カレーズ 地下水の水道
手堀りです 壁には鑿の跡


    トルファンではその湧出した地下水を水道に利用していました。その施設をカレーズといいます。
    山麓の水脈を堀当てそこから一定の間隔で縦穴を堀り、それを横穴で結ぶやり方です。
    そのカレーズは、公共施設ではなく個人の権利でした。それが今では観光施設として公開されています。
    私も入ってみました。なんと全部手堀りです。壁には鑿の跡がありました。

    この施設を利用した葡萄畑が広がっていました。そしてここは綿花の産地です。
    トルファン住民の80%がウイグル族(イスラム教徒)いわゆる小数民族の人々で、あとは漢民族です。
    ウイグル族の人達は堀の深い顔立ちで美男美女が多い。トルコ系だそうです。

    夜ホテルの周辺を一人歩きして近くの夜店を覗きました。人々は家の中は暑いのでおそくまで外で過ごし、
    ここに集まって食事をします。
    羊の肉の串焼きシシカカブ(私の口にはあいません)を調理する煙とにおいが充満した場所です。

夜のバザール 屋台食堂が並ぶ
お店はどこも大繁盛 
シシカカブのにおいと煙が…


    第3日目(6月19日)
    トルファン周辺の砂漠には約1500年から700年前頃に栄えた城跡や遺跡が数多くあり、
    そして西遊記に出てくる火炎山があるのです。
    照りつける太陽の暑さは格別。火州といわれるゆえんです。バスのエンジンも焼け付いてエアコンはダウン、
    当日の温度は43度でした。湿気がないから過ごせるのですね。夜の温度は34度。

    明日の観光地敦煌に向けて夜行の寝台列車に乗りました。砂漠に敷かれたレールの上を12時間。

    第4日目(6月20日)
ここが火炎山 今日は迫力がない
砂漠に敷かれたレールを行く列車
砂漠の停車駅と思えぬ程立派

  
    昼過ぎ柳園市到着、敦煌へ行く途中に、崩れかかって土塁の形を残す万里の長城の最西端がありました。
    そして行く手には、湖があるように見みえる砂漠の蜃気楼が何度も姿を現していました。



  みたり・きいたり 『主一人』 20   
 
 シルクロード・敦煌 の旅 B
 

「にしうら」256号(12年10月発行)に掲載を予定しています

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    夕食後敦煌市郊外の鳴沙山に向かいました。
    ここは鳥取砂丘よりも大きい砂丘が40qも連なっている砂の山。

    駱駝が交通手段です。座っている駱駝に乗って、それがどっこいしょっという動作で立ち上がるとき、
    前後に大きく揺れるのでうっかりしていると振り落とされます。無事でした。
    ♪ 月の砂漠をはるばると 二人並んで行きました ♪   その名場面です。
    いつも一緒の分身、亡き妻泰子に語りかけながらロマンチックな気分を味わいました。

  
莫高窟の全景 
    
九層の建物 この中に34Mの大仏
平山画伯の恋人?

  
    第5日目(6月21日) 
    中国3大石窟の筆頭「砂漠の大画廊」といわれる莫高窟を見学しました。
    鳴沙山東端の断崖に掘られた約500の洞窟の中に、1600年の昔から1000年の間、
    作られた絵画や彫刻など仏教芸術品がぎっしり納められています。
    目を引いたのはやはり、平山郁夫画伯の恋人とまでいわれる、初唐に描かれた菩薩像の壁画でした。

映画の「敦煌」セット全景 城壁
 城  壁 
城壁から砂漠を望見 

  
    倣宋古城‥これは極最近の遺跡?です。13年前、日中合作映画「敦煌」がありました。
    その撮影のために砂漠の真ん中に作られたセットです。

    城壁・城門・楼閣・城内の佛廟・酒楼・市場など、宋の時代の絵画などの資料をもとに再現された
    ものです。宋の時代を模倣して作られた城だから、倣宋古城。

    セットと云っても張りぼてではないんです。本格仕様です。
    城壁(土でしっかり築いてありました)に立って遠くを眺めると、砂漠の地平線の彼方から、
    人馬の軍隊が押し寄せてくる様が彷彿としました。
    本来の遺跡に交じって、観光名所になっています。

城内の町家風景 人影は今の人
水のある井戸が掘ってあった
茶店があった 一服しよう

  
    敦煌市周辺には遺跡が数多くあります。漢代の関所、陽関や玉門関狼煙台の跡など
     ※狼煙の燃料は狼の糞です 
    玉門関狼煙台の跡を馬で行きました。



    第6日目(6月22日)
    朝早く飛行機で西安市へ。
    西安市は、かっては長安と呼ばれ、紀元前1000年から2000年の間各王朝が都を置いて栄えた、
    シルクロードの起点です

    西安は遺跡の宝庫です。
    多くの博物館には、先史時代から泰代、漢代、唐など各時代の遺跡が展示されている。

    第7日目(6月23日)
    唐の玄宗皇帝とのロマンスで有名な楊貴妃の湯浴みした温泉跡もありました。

銅製馬車の出土の状況
それを復元した
兵士の俑(人形)

  
    が 圧巻は兵馬俑です。
    兵馬俑は、泰の始皇帝が自分の墓を護らせるために作らせた、等身大の兵士や馬などの焼き物人形です。
    その数およそ6000体がそっくり埋没されていたのです。

    そして侵入を防ぐため、自動発射装置毒矢がセットされ、それにやられ死んだ白骨もあったと。
    2200年前にこの発想は驚きです。

    25年前井戸を掘って偶然兵馬俑を発見した農民の方に、展示場の入り口で握手してもらいました。



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 シルクロード・敦煌 の旅 C
 

「にしうら」257号(12年11月発行)に掲載を予定しています

    第8日目(6月24日)
    シルクロード・敦煌・兵馬俑、私の夢にみていた観光の旅は終わりました。

    このコースに日本人観光客が年間43万人訪れているそうです。欧米人はその約10%。
    ホテルは日本人でいっぱい。だから言葉は殆ど不自由しません。観光地では、
    群がるみやげ物売りの子供達でさえも片言ながら日本語で呼びかけてきます。

    「何年生?」「6年生」「今日は月曜日なのに学校は?」「夏休みです」
    などなど  コチラも片言の中国語、すぐに仲良しになりました。

 
観光客目当ての物売りの少女達
仲良くなりました
ウイグル族の美人姉妹


    ホテルや観光物産展等では流暢な日本語で応対してくれます。
    日本語を話せる話せないでは収入格差が著しく大きく、日本人相手のガイドはエリートです。
    日本語の勉強熱は盛んです。その次に英語です。

    私は思いました。数千年前の中国は超先進国だった、日本はそれを追っかけていた。
    今は逆転したのではないでしょうか。長い間中国は眠っていたと思います。
    その間日本は勤勉さをもってあらゆるものに挑戦し磨きをかけてきました。

    例えば、今回の旅行で一緒になった建築専門家は、建築中の建物や高級ホテルの仕様を見て、
    柱の建て方・かべの塗り方等、この状態では日本式では不合格、やりなおしですよ と、
    技術的に劣っていることを指摘していました。自動車・電気製品等々、
    また交通事情等どれをとっても見劣りがしました。

    しかし復興にはめざましいものがあります。現に日本や欧米から積極的に新しい文化技術を
    取り入れつつあります。電子技術に到っては肩を並べているようです。

    長い眠りから醒めた人口14億の中国は、巨大龍となって、21世紀の主役になるかも知れません。

 
    関西空港から京都駅に着いたとき、時間も知らせていないのに改札口に娘が立っていました。
    18年前、やはり中国から帰ったときも、予期していない私を伊丹空港に出迎えてくれた
    亡き妻泰子の姿と重なりました。

    ふだんの生活、通学児童の交通誘導に戻ったとき、
    「しばらく見ひんかったな」
    「うん」
    「毎日家でなにしてたん?」
    「実は 遊びに行ってたんや」
    「わー ずっこう」 

    今、友達の陶芸作家が、私の持ち帰った砂漠の砂を混ぜて作ってくれたカップでコーヒーを味わっています。

    ドライブしてきました。

     北陸・信州・関東、昨年より1000q少ない1600qです。

     帰途の東京からは一人旅。
     高速道路をやめて東海道を走りました。

     箱根街道は短い距離の曲がりくねりの連続しています。
     制限速度は40qなんですが私は35qがせいぜい、時には20q台、
     ふとバックミラーに気づくと、私を先頭に10数台のヘッドランプが連なっている。
     私が遅いので渋滞しているのです。

     時々脇へ寄せて譲りました。スリルと緊張の連続を味わいました。

     見たいところを見る。休みたいときは休む。時間制限のない一人旅っていいもんです。

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