「にしうら」からこんにちは
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はじめに
ご挨拶と戦時中体験記の目次をご案内しています
このページは兄の遺した回顧録を収録しています。
平成15年8月18日
平成五年十月、長い間失念していた書類を 妻 が 何かの折に納戸から見付け出してくれた。
それは自分が五十有余年前軍隊に応召、中支那の戦線に参加していた当時故国への便りに
認めて送っていた短歌を母が丹念に記録し後日巻物に写し替えておいてくれたもの。
同年十月末日奇しくも、その母は遂にお迎えがきて百弐歳の生涯を終えた、
そのような時にこの書類が出てきたのも何かの因縁か。
さて、巻物の書面はとても達筆にて現代の人には難解であり後世誰かが読んで呉れるにしても
書き直しておく要があり妻 のすすめにより一念発起して平成六年三月から当の作者が
当時のことを想い出しながら清書をすることとし折を見つけて本書に記す。
このような時代も、このような記録もあった事を想起して貰えたら幸甚なり。
平成六年三月
七十五歳 内 田 悦 平
幾百里 越え来りたる この煙草 くゆらしつつ 便り認む 昭和15.4.13 ※ 故国から送ってきた煙草
分隊は 皆行動に 出で行きて 残りし吾は 戦友の粥炊く 4.15 ※ 看病している
夕去りて 蛙聴きつつ戦場の 曠き野道を 一人歩きぬ 4.11
立哨す 此処修水の 河畔にも 香高き 蓬萌え出ず 2.25 ※ 修水=地名
動哨の 靴音冷えて 黒々と 自動車並べり 星空の下 4.18
青々と 木々照り映えて 崩れたる 城壁越しに 古塔覗けり
山上に 薫風を衝き えん/\と 自動車続けり 行動の朝 4.22
夕闇に ほのかに咲ける アカシヤを 折りて宿舎の 窓に飾りぬ
ふと見やる 青き田の面に つばくろの飛び交う頃と なりにけるかも
小休止 白き野ばらの 一枝に 運転台の 薫り床しも
戦前は 誰が住みにき 煤けたる 屋根裏眺め 今日も寝める 4.24 ※ 接収家屋を宿舎にしている
暑かりし 行動整備 積込みを 終りて夕べと なりけるかな 4.27
しみじみと 慈愛溢れし たらちねの 母の便り来 夕べとなりて ※ 夕方になり郵便物を受ける
暑くして 睡られぬ夜 はや二三 蚊飛び来たり 中支那の春
一日の 任め終わりて 今日もまた 星空眺め 風呂より帰る
一日の 行動終へて 道路上 自動車を列べ 一夜明かさむ 5.2
遇々に 近衛隊にて 同車せし 原隊時代の 友と語りぬ
麦の穂に 波立ち騒ぎ 黒雲の 空をおおいて 稲妻走る
降頻る 雨今暫し やまざるか 防滑鏈を 着け終るまで ※ 防滑鏈=タイヤチェーン
片側に 挽馬蜿々 連なりて 行進交叉す 砲声近し 5.10 ※ 戦線が近い
朝風に 気球浮びて 山の端に 爆煙頻り 自動車とばせり ※ 砲兵観測用の気球
烈日に 武装整え 全員は 一線輸送の 準備完了 ※ 戦闘準備なり
転把持つ 表情凄く 一車また一車 いま泥濘の 坂道を上る ※ 転把=車のハンドル
先頭を 砂塵巻き上げ 邁進す 前線近し 自動車隊 吾は
放棄せし 陣地点々 急設の 電線 続き車列進む ※ 敵方の陣地
山峡に 半埋けの死馬 転がりて 急進したる 友軍偲ぶ ※ 死馬が完全に埋めてない
山を越え 畑を潰し ゆられつつ いま急造の 野道を進む
※ 以上八首、○○作戦に参加した時のものと思う
次頁の8首も、作戦行動に伴うもの、割合呑気な戦場のようだが……?
五月雨の 立哨終えて 仮眠所に 横たはりしに こほろぎの啼く 5.14
衛兵の 一夜は明けて 晴れやらぬ 彼方の杜に 鵲の群
敵襲を 受けし本隊 救援に 夜風を截りて 城門を出ず
無燈火にて 山道急ぎぬ 折からの 半月冴えて 鉄帽光る
今宵こそ 弾丸潜るかと 覚えつつ 荷框に揺られ 睡魔襲うを
戦闘は 既に熄りて 草の葉に 露を宿して 大地冷え居り
本隊は 今日も還らず 廣き蚊帳 一人寝みも 四晩となりて ※ 残留隊に居る
蚊帳中に ランプゆらぎて 風強く 分隊員は 今宵も帰らず
窓越しの 母に湯加減 返えつつ 浸りし 家の風呂し 偲ばゆ ※ 故国にいた頃を 5.18
夕雲に よくゆうしつつ 一機二機 今急降下 爆撃頻り
屯する 凹地を越えて 不気味なる 弾丸音繁く 頭上かすめり
銃弾は 頻りに飛べど 夕去りて 丘陵つづき 敵影見えず
他人ごとに 聴きしなりけり 弾丸の下 そを今吾は 潜る身となり
故国に在る 母もこの月 見てるらむ 今宵も吾は 動哨に立つ 5.19
傷つきし 患者積載 中隊は 敵中突破 下らんとする ※ 戦線より後方へ 5..21
引続き 糧秣積載 前線へ 十五夜の月 城壁に映ゆ
土塀越し 満月冴えて エンジンの 響き続けり 行動に立つ ※ 夜の行動に出づ
斑らなる 峰幾重にも 連なりて 夏雲午后の 陽に映えて居り 5.22
追越せし 歩兵部隊の 一群に 氷砂糖の箱を 投げ遣る 5.26 ※ 車の上から
新しき 墓標並べり 道路辺に 彼の日の夜襲 守りし勇士 5.27
輸送品 積載終えて 引返す 茜色なる 城壁の空
黄色なる 麦畑の中一列に 車進めり 砂塵に煙り 5.29 ※ 戦場にも農作物は出きていた
今進む 畑を潰せし 凹凸路 速度鈍りて 烈日に蒸せ
中支那の 灼けし山野に 砂塵浴び 紅咲けり 河原撫子 6.02
大陸の 夕雲浮かび 初蝉を 聴きつつ 木陰に 食事したたむ 6.09
戦場の 常とは云えど はかなきは 人の生命 隊長逝けり 6.10 ※ 隊長戦病死さる
傷つきて 後送されし 隊長の 死亡せしてふ 電報来し夜 ※ 感無量なりき
夜半の二時 行動終り 暗闇に 野井戸を探ね 炊事始めぬ 5.30 ※ 以下三句野営のこと
蚊帳吊りて 野外に寝しに 雨に逢い 古塔に入りて 一夜明かしぬ 6.14 ※ 安陸=地名
久方の 雨に濡れつつ 安陸の 街をまわりて 宿舎探しぬ
徐行しつつ 船橋渡りぬ 淀み居る ここ漢水に 夕暗迫る 6.16 ※ 漢水=地名
隊員は 思いおもいに 出て行きて ろうそく揺ぎ 独り書を読む
久方の 汽車に揺れつヽ 居睡るに 外の景色の 須磨・明石なる 6.18 ※ 故国の夢を見ていたのか
黒豚の 一群追いて ニーコウ等は 夕暗迫る 野辺より帰る 6.21 ※ ニーコウ=中国語で農夫を指す
今日もまた 蝉時雨降る 京山の 木立を潜り 車走らす ※ 京山=地名
転把執り 予定線上 走らすに 凉風蓮の 香を運び来ぬ
夏雲の 層幾重にも 連りて 遠く故国の 海をし偲ぶ
青々と 水田一望 連りて 光る水面に 睡蓮紅し
クリークに 蓮の花の 盛りにて もう故国にては 孟盆近し 7.05
崩れたる 土塀際なるクリークに 紅き睡蓮 今盛りにて
またしても 夕立来るか 遠近の 山に雨雲 立渾めて見ゆ
荒れ果てヽ 夏草繁れる 京山に 車を停め 湯漬飯食ふ
漢水の 岸辺に生えし 竹一葉 文からに添え 母のみもとへ 7.10
凉風を 浴びつつ戸外に 佇むに 天の川見ゆ 荊門の夜 ※ 荊門=地名
打続く いらかの果てに 毀れたる 三重の塔見ゆ 雨に煙りて 7.20
アンペラの 日除出したる 窓縁に バラの芽伸びて 部屋を覗けり 7.27
宿舎なる 屋根裏部屋に雨洩りて 空鑵並べごろ寝し居ぬ
※ この頃幹候教育にて部隊本部に居たと思う
雨霽れて バラの芽碧く宿舎なる 窓より見やる 安陸のまち
屋根越しに 入道雲の 涌く見えて 本を展くに 汗の滲むを 8.04
跳ねて居る 棟(甍)幾重にも 連りて 蝉声繁く 雲灼けて居り
ふと仰ぐ 高き窓辺に 上弦に 星の懸れる 三日月冴えて
窓縁に すくすく伸びし バラの芽も いつしか虫に むしばまれ居ぬ 8.05
此の月日 倶に学びし 戦友の 訣別の朝 夕立し来る
白雲の 流れる速し 晴れるとも 降るともわかぬ 大陸の空
繰返し 展く便りに 蚊一つ 潰されあるも 家のかおりす 8.06
ひねもすの 雨は上がりて あちこちに 虫の音響く 夜気ひえびえと 8.10 ※ 大陸の夜は冷える
写真添え 慰問袋来 五年前 富山時代の 別れし友より
寂として 虫声細く ろうそくの 淡かに揺れぬ 不寝番に立つ 8.11
そこはかに 支那壁奥に 蚊一つ 唸りて飛びぬ 不寝番の宵
点呼終え 夏草深き 城壁下 円陣つくり 号令調整す 8.14
夕雲に 虹立つ眺め どなり居る 軍歌城壁に 跳ね返りあり ※ やけくそか
汚れたる 小狭き部屋の 白壁に 鈴蘭摘める 少女遊べり 8.17 ※ 絵が貼ってあったのか
立哨す 烈風荒び 黒雲の 流れる疾し 初秋の夜半 8.22
虫の音に 故国を偲ぶ 今宵もか 召されてゆ はや一とせ近し 8.24
大陸の 野分けにあるか 一夜中 吹き荒れし風 今朝も続けり
※ 戦場にて一年近く、この頃いろいろ考えること多かった様だ
小さなる 心は捨てて ただ一途 兵士の途を 進まん吾は 10.01
幹候を 諦めし日 風寒く 動哨に立ち 星空を仰ぐ
久方の ゆとりある夜 沁みじみと 家郷の便り 繰返しよむ 10.10
虫の音も 聴こえずなりて 早幾日 此処中支那に 秋は深めり ※ 大陸の秋は早い
拂暁は 寒き日なれど 紫外線 さんさんさんと降り 眼に沁みる
ブレーキに 足を掛けつつ 茶色なる 落葉の映ゆる 土橋を渡る
一列に 車を停めて ニーコー等の 担いて来る 白飴を買う
峠路を 操縦しつゝ 越えくれば 紅き木の葉に 芒光れり
※ 初めての大陸の秋、いろいろいろ初体験のこと多し
小春日に あらで小夏か 中支那の 十月陽光 さんさんと照る
動哨す 車廠の中を 二つ三つ 蛍飛び交う 虫声に和し ※ また蛍が出てきたのか?
離れてゆ 一年となる 大阪の 街の出てくる 小説を読む ※ まだ故国が恋しい頃だったか
研究に あらず心の 糧にとの 母の言思いつゝ 「アララギ」を読む 10.13
折りおりに 送りし歌に 今日三首 百首になれりと 母の便りに
大陸に 渡りて十月 此の頃は 塩と油の 料理も作る 10.14
雨降りて 独り居る宵 静かにて 沁々レコード 聴きまほしきも
油(脂)にて 豚に玉葱 馬鈴薯を いためし料理 久々に美味し(好吃)
※ この頃二、三人の兵隊と中隊の事務処理の為、事務所にて起居気楽に一ヶ月位軍務を
雨の夜 虫音もなく 隣より 聴く戦友の 歌声悲痛 ※ 何かあったのか
夜遅く 小用に立つに 雨霽れて 仲秋の月 雲の間にまに
ランプ消し 寝床に潜り ふと仰ぐ 嵌めし障子に 月明かりして 10.15
マラリヤにて 入院中の 年老いし 分隊員の 死亡通知来
暫くを 倶に起居せし 戦友の 死亡せしとな 他人ことならず
仲秋の 十五夜更けて 窓明く 声冴えざえと 雁渡り行く 10.17
雲厚く 朝風冷えて 赫土の 釣鐘草乱る 高台を行く
霽れ居たる 時雨又も 降り来り 泥にまみれて 防滑鏈着く 10.22
ぬかるみて 夕暮走る 豫定線に 黄色き野菊 乱れ咲く観る
降りつゞく 冷雨も見えず 車台下に 潜りてスプリング修す
※ この頃自然気象との戦いもあり、連日雨ぬかるみに悩まされる
霽れるとも 見えぬ霖雨に 濡りつゝ 泥濘に汚れて 自動車洗う
諦めしとは云え 励みの便り来て 何時とはなしに 心疼くを 10.24
かにかくに 務めを終えて 此の十月 体を休む 五枚の毛布
秋風の 荒ぶ車廠の 一隅に 亡き戦友の 供養塔立つ
骨ばこを 埋けて黄色き 一群の 野菊を手向け 冥福祈る
冷えまさる 星空の下 麗しき 慰問使達の 演芸を見る 10.25
小春日の 此の一日を 去年の如 山路くまなく 探ね見まほし 10.26 ※ 故国の秋日和を思い出したか
丁々と 斧音響き 十月の 陽に汗して 枝伐り拂ふ 10.28 ※ 炭焼きの材をきったのか
地響きを 立てゝ倒れる 大楢の 繁れる青葉 秋の陽に映え
夜のみの 部屋にはあれど 黄色なる 野菊一群 瓶に挿し居ぬ
蟠り 消えよと軍歌 怒鳴り居る 頭上に光る 星を睨みて 10.29 ※ いらいらしていたようだ
心身の 鍛錬場なり 軍隊は 長き人生の 二年三年 ※ 戦場では明日も知れないがそう思うか
小休止に 手折りし黄菊 砂塵浴び 運転台に 揺られつゝ行く 11.01
灯の 明き店に入りて 久方に レコードききつゝ おはぎなど食う 11.08 ※ どこだったのかなー
ひしひしと 寒波襲ひし クリークも 紅葉を映し 静まれる朝 11.09
赤誠吾 皇居を拝す 車廠に列び 皇紀二六〇〇年記念 11.11 ※ おどらされていた頃なりき
隊長以下 萬歳唱え 清らけく 佳き日恩賜の 酒を頂く
生木焚く 暖炉燻り 去年の春 スキーに行きし 山家偲ばゆ 11.17
夕闇の 衛舎裏なる 堤防に 大雉二羽 静止し居り ※ 時折見かける
月冴ゆる 分哨の夜半 石をもて 囲みし暖炉に 生木燃ゆる音 ※ 分哨の折りの夜明が待ちどおしい
鶏鳴に 夜明けるらむ 冴え居たる 十八日の 月薄れゆく 11.18
漸くに 修理を終えて ふと仰ぐ 星空冷えて 夜露下りたり 11.22
夕食の 支度を終えて 灯を点し 分隊員の 帰り来るを待つ ※ 新参兵は大変なり
とりたてゝ 想うことなく 此の幾日 務め完れば 唯寝むのみ 11.26
風呂を出て 寝床に潜りし一ときの 替え難きなり 戦地に過ごし 12.06
順序立て 機関も組みぬ 此頃は 自動車隊に 一年過し ※ エンジンプラグ取替配線点検等と思う
案外に 水温み居る クリークに 白き息吹き 自動車洗う 12.07 ※ 寒い日だが
風強く 底冷えしける 炊事場の 片隅に鳴く 蟋蟀のあり
微かなる 電灯のもと 担架より 患者積載 あかつき暗に 12.08 ※ 患者輸送に
新体制 故国の母も 健やけく 区会等にも 出席さるらし 12.11 ※ 内地も戦時体制になり、町会隣組等のことか
冬の日の 落ち行く早し 転把執り 暮色漂う 高台を行く ※ 車を運転しながら詠んでいるなり
以上159首昭和15年12月までの便りに、とあり
木枯しの 吹く宵晩く たゞ一人 風呂に浸りて しずかにおもう 12-20
何事も 修養なりと 思いつゝ 折に怒れる 心のかなし 12-20
一面に 霜降りし朝 幾日振り 車に乗りて 用足しに出る 12-26
崩れたる 壁も残らず 一面に 雪降りし如 霜の降りたり 12-26
宿舎毎 門松飾り 戦場の 此処中支にも 初春近づく 12.26
被服類 整理をしつゝ 倉庫中に けふ一日を 速く過ごせり
※ この頃中隊給与係をしていたと思う 12.26
一種毎 計算しつゝ トタン板に 中隊員の 配給品並ぶ 12.26
かかるもの 拙き乍ら 詠みし日は 心ほのぼの 満さる如し
※ このような短歌を 12.26
うたなどの 浮ぶ余裕の なくなりて 此幾日を 速く過ごしぬ 12.26
昭和15年末記し、16年1月3
日に送る
一年余 耳にせざりし ラジオ放送 今宵沁みじみ 懐かしく聴く
※ 故国からの放送をきく 12.29
過ぎて来し 宜昌漢水 作戦の 戦果放送 今更にきく 12.29
入り来たる 声変わらねど いま在るは 海山幾里 距て来し土地 12.29
多忙なる 一日終りて 寝床中に 支那音楽の 放送をきく ※ 現地に中継基地ができたか 12.30
冷凍鯛のし餅 黒豆 数の子 等 配給し終え 正月近し 12.30
一年余 なじみし自動車 此の頃は 乗ることさえも 稀となりたり 12.30
去年の暮 別れしははに はらからを 偲びつ戦地の 年暮れ行かむ 12.31
様々の 体験を経し この一年 後幾時もなく 過ぎ行かむ今 12.32
輝かし 年去り行かむ 故国よりの ラジオ放送 夜を徹して ※ 大晦日の放送をきく 12.31
此の年の 暮れ行く音ぞ 戦地にも 電波に乗りて 除夜の鐘入る
※ これにて昭和十五年戦場に来てまる一年過ぎてゆくなり 感慨一入のものありき
註 当時戦場からの軍隊の郵便物は全て軍事郵便(ハガキ)であり、当局の検閲を受けていた。
従って国に軍に不利なことは、勿論批判的な事も書けなかっただろう。即処罰の対象になる。
常に心すべきことであった。その様な状況下においての故国への便り短歌であったことを附言する。
半年余 馴染みし此の地 安陸に 氷雨そぼ降る 初春を迎えぬ 一六、一、一
初春の雨 そぼ降る中に 整列し 銃を捧げて 皇居を拝す 一、 一
はしやぎて トランプなどしぬ この宵を 戦地にあれど 正月なれば 一、 二
移動して 一夜を結ぶ バラックの アンペラ越しに 月冴えてあり 一、 九
朝毎に 濃き霧流れる この土地に 移りてゆはや 四日過ごしぬ 一、一三
対岸に 国旗揚れば 行動の 帰り来れる しるしなりけり ※ 中隊の輸送業務のこと 一、一三
肩先の 冷えにいつしか 目覚むれば 寒月光り 窓に冴え居り 一、一三
推りたる 便り出し了え 久方に 和やみにける 心清しを 一、一四
うす暗き 風呂場の床に 隙間より 十五夜月の 光射し入る 一、一四
一月の 中半にあれど 日中の 陽射しは強く 吾が頬に照る 一、二〇
足下に 音を立てつゝ 沸く風呂も 寒風荒び 肩は冷え居り
※ 五ヱ門風呂、下では熱いが上は冷えている 一、二二
二日間 荒びし寒風 鎮まりて 星空高く 雁渡り行く 一、二四
幾度か 星空仰ぎ 眼を閉じぬ 濃き紅茶に 眠れぬ今宵 ※ 紅茶どうして手に入れたのかな 一、二四
事務に倦き 川辺をあゆむ 冬の午後 追い回されし 鶏も探して
※ 軍の書類作りをしていたのかどこかへ逃げ込んだとりも探して 一、二九
充分に 寝足りて醒めし 寒き朝 金色空に 鶴の列行く ※ 大陸はのどかなり 一、三〇
この頃一〜二ヶ月、中隊の残留員となり給与係業務の事務整理を命ぜられ、
事務室を与えられてそこで起居しながら毎日事務をとり、あまり時間にし
ばられず気楽に過ごせた時期だったように思う。
事務室の ガラス窓越し 夕陽浴び 語らいて行く 苦力の群あり ※ 苦力=中国人労働者のこと 一、三〇
ことさらに 思うことなく 此の日々を ひねもす机に 向い過せり 二、 三
夕去りて 机に向い 筆とるに プロペラ船の 爆音高し ※ 確か長江の両岸を結ぶ軍の連絡船だったと思う 毎日航行していた 二、 三
夕靄の 淡かに流れ 深紅なる 真冬の太陽 いま沈み行く ※ 大陸の夕陽は美しい 二、 三
鶏蛋を 二十個求め 干からびし 塩鯖七尾に 塩少々与う ※ 鶏蛋=卵 中国人と物々交換する 二、 五
寝床中に 煙草吸い終え 手を伸し 机の裏に 捺りつけて消す ※ きままなことをしていたようだ 二、 五
の陽を 終日吸いし この布団 寝返る度に 日向臭う 二、 五
微笑まし 少女雑誌の 眼に触れて ところ/\ 拾い読む宵 二、 五
案じ居し 暴風雨霽れて かすかなる 雲の隙間に 雲雀囀る 二、 七
たゞ一人 書物読み居て 更けし夜 しじまを破る 銃声暫し 二、 八 暖かき 午後の陽射しに 誘はれて 河原の砂に 自転車走らす ※ 優雅な勤務のように思う 二、 九 同じこと 書き居し事務に 怠けきて ふと寝台に 横たはり見る 二、 九 古傷に さわるが如く 折りに触れ 幹候思う 心の哀し 二、 九 一面に 土色なせる 冬枯の 水面に舫う サンパンの群 ※ サンパン=中国の屋根付き小舟(川舟) 二、一一 徒然に 鉛筆執りて 事務室ゆ 北風強き 戸外を眺む ※ 窓外の冬枯れの景色をスケッチする 二、一一 終日を 小止みだもなく 粉吹雪 狂うが如く 吹き荒れにけり 二、一二 アンペラの 隙を吹き込む 粉吹雪 机上もいつしか 薄く化粧いぬ 二、一二 漸くに 吹雪は霽れて 更けし夜 十七日の 月影明し 二、一七 夕去りて 向ふ岸なる 土手際の 残雪映し 河冷えて居り ※ 冬枯れの寒々とした情景を 二、一五 青黒く 帆影を宿し 淀み居る 黄昏近し 漢水の面 二、一六 苦力の群 話声のみ 高々と 橋渡り行く 霧深き朝 ※ 姿は見えないなり 二、一七 事務室の 机に寄りて 今暫し 暮れゆく空を 倦かず眺むる 二、一八 そゝり立つ 枯木の梢に 尾を引ける 夕焼雲に 軍歌澱みぬ ※ 他からきこえてくる 二、二〇 さわやかに 晴れしこの朝 夜霧に 濡れし窓ガラス 雫垂れ居ぬ 二、二〇 歌の出る 余裕だになく 此の幾日 心虚しく 疾く終へりけり 三、二〇 淡れゆく 朝靄の中 藁葺きの 苦力宿舎 陽に映えてあり 四、 二 窓際の 人形を吊りし 花挿しに 菜の花午後の 風に揺らぎて 四、 二 朝毎に 緑をませる 青柳の 今朝は宿舎を 覆い尽くしぬ 四、 五 うす暗き 湯殿に入るに ほの/\と 漂白粉の 臭気漂う ※ はてどこの風呂だったのか、兵站かな 四、 七 蟋蟀の 鳴く音沸き立つ 破壁に 圓かに照す 青き月かげ 四、一一 赤土の 道路を覆う アカシヤの 若葉に強し 初夏の日射しは 四、二六 自動車もて 手折り来りし 野いばらの 黄昏机上に 淡く匂えり 五、 四 久方に 歌詠む心に なりぬ宵 なにとはなしに 心安きも 五、 四 蚊帳中に ローソク灯し 書読むに 蟋蟀に和し 蛙かしまし 五、 四 山峡の 切り開かれし 水田に 白鷺二、三 餌を漁りて 五、 五 対岸に 連る山の 嶺々に 朝霧深し 長江の朝 ※ 何処かな、揚子江岸へ出てきたのか 五、 六 青黝き 影を宿して 朝凪の 長江覆い 聳ゆる山並 ※ 長江の雄大な景観なり 五、 七 谷間より 流れる白き 朝霧に 前行く車 朧げに見ゆ ※ 長江岸の霧は深いなり 五、 七 炊事場に 台を囲みて 語らいつ 豚を料理す 兵隊四名 五、一一 夕去りて 野原に出でて 行遭える 木匠なりてふ 華人(中国人)と語る ※ 木匠=大工 五、一一 母上ゆ 昨日届きし 小包の 煙草「桜」の 四本目を吸う ※ 内地のたばこ、大事にしていたか 五、一一 割りかけの 薪に腰掛け 苦力二名 居眠りし居り 雨垂れに濡れ ※ どんな夢をみているか 五、一一 独りして 想う機なし 此の頃は ランプを消して 蚊帳に入るまで 五、一五 一面に 丈なす葦の 砂原に 轍を求め 側車走らす 五、二一 流れ出る 汗を拭きつつ 故障せる 車直しぬ 草蒸す野辺に 五、二一 側車にて 走る道路の 両側に 葦の葉午後の 風にさやぎて 五、二二 畑路に 避けし自動車 夏の陽に エンジンかからず 独り疲れて ※一人で出かけた時か、危険多し 五、二三 漢水の 砂塵に煙り 舫いたる 綿花を積める サンパン五隻 五、二四 急激に 車を停め 木の影に 担い来れる 胡瓜購う ※ 大層な 五、二四 事務室の 扉を閉むれば 臭い来る 椅子に吊せし 蚊取線香 五、二七 ふと見やる 窓に張りたる 寒冷紗に 蛍止まりて 淡く光れり ※ 風流ね 五、二七 垣根越しに 紅き葵の 眼に付きて 車を停め 三茎折り来ぬ 五、二九 手折りきて 窓辺に挿せし 紅葵の 葉しおれ来ぬ 蒸暑き宵 五、二九 搦み着く 藻を除きつゝ 一歩二歩 湖心に進みぬ 水泳ぎしに ※ どこの沼だったか、こんなこともあった 五、三〇 午後の陽に 飛沫輝き二年振り 水泳ぎしぬ 心行くまで 五、三〇 午過ぎの 微風だに無き 陽の中を 防署帽着け 挽馬隊行く 六、 二 追風に 焼けるエンジン 気遣かいつ 砂塵を捲きて 疾く走りけり 六、 三 夕風に 夏草騒ぐ 廣き野に 爆音高く 側車走らす 六、 三 白茶けし 砂塵を捲きて 吹く風に 軒に吊るせる 風鈴賑はし 六、 四 雲の間に 半月鈍く 動哨の 靴音響き虫声細し 六、 六 寝室に 新聞紙敷き 数調べ 出来上りたる カステーラ配る ※ 給与の配給品と思う、貴重品だ 六、 八 土民等に 白菜買うに 値の合はず 持逃げをして 脅かして見る ※ 取引成立か 六、 九 去年の夏 送り来りし モスキトンの 残りを出せば 夏香い来も ※ モスキトン=蚊除けクリームか 六、 九 暫しだに 微睡ければ 手に額に 頬に止れる 蝿の煩く 六、一二 床に入り 歌を詠まんと 思いしに 睡魔襲いて 何時しか眠むる 六、一三 静かなる 夕陽の映ゆる 藻の上に 蛙這い居り 両手を突きて 六、一五 戦備なく 統率者無し 唯一途 他国を頼りし 仏蘭西哀れ ※ ヨーロッパ独、仏戦のニュースをききてか 六、一六 スロットルを 全開にして 野の道を 側車飛せり 夕風を截り 六、一七 白雲の 輝き見ゆる 午後の陽に クリーク碧し 紅き蓮咲く 六、一八 糠味噌の 胡瓜さかなに 事務室の ランプの下に ビール傾むく 六、一九 自動車にて 受領し来りし 糧秣の 苦力等指揮し 吾も担えり 六、二〇 雨霽れて 夏空碧し 赤黒く 湿りし土に 矢車草乱る ※ 軍農場にて 六、二二 三日前 軍農場にて 手折りける 百日草紅し ランプの影に 六、二四 展べてある 寝床押しやり 夜更けて レコード懸けぬ 雨音繁し ※ 何だか優雅だな 六、二四 一歳半 苦楽をわかちし 戦友の 帰還しゆくあり 別れゆくあり ※ 中隊の解散転属となる 六、二五 一隅に 車座つくり 語らいぬ 緒に来りし 戦友四名 ※ 中隊解散式宴会場にて 六、二五 餞の 言葉を聴けば 今更に 命令と云え 胸のつまるを ※ 申告式にて 六、二五 各がじし 口に出さねど 育ちたる 中隊離る 心情し偲ぶ ※ 生死を共にしている戦場での中隊は特別か 六、二六 以上四首はこの時自分が渡支以来一年半属して苦楽を共にしてきた中隊が解散し、帰還するものあり、他中隊へ転属させられた折のもの。自分も他の中隊へ転属、新しい戦友と苦楽を共にすることになる。 頼みおきし 雑誌届きぬ 微熱あり 注射を受けて 戻りし宵に 六、二九 娘等二人 文学座の劇 観に行きて 今宵は独りと 母の便りに 六、二九 霧雨の霽間に蝉の 声繁く 東の空に 虹淡れゆく 七、 一 裸にて 事務を執り居る 夕近く 披きし帳簿に 汗の垂る ※ 割合自由に勤務していたのだな 七、 五 同年の 戦友二年振り 集い寄り 月射す営庭に 語らいて飲む 七、 五 引き受けし 整理を了えて 久方に 夕づく室に レコード懸ける 七、 六 夕暮れの 湯殿に淡く 臭い居る 誰が入れしか 青き桃の葉 ※ 風流な戦友もいたのだ 七、 七 米洗ふ 自動車に乗りて 夕べ来し 紅き蓮咲く クリーク微温し 七、 八 川下に 敵襲ありしとふ昼に プロペラ船の 爆音頻り ※ 作歌も次第に間遠になってきた様だ 七、一〇 蔓延れる 夏草の果 大いなる 苦力宿舎の 藁屋根覗く 七、一七 伸び切りし しこ草の末 透し見る 雲峰連り 蝉しぐれ降る 七、二〇 二旬振り 届きし便り 懐かしみ ローソクの下 繰り返し読む 七、二一 筆を執る 用無くなりて たまさかに 便りを書けば 腕のふるえる 八、二九 外套に 外被を重ね 雨しぶく 分哨の夜 微睡みもせず ※ 前線警備に廻ったようなり 九、 三 間近なる 銃声に醒め 脚絆巻く 手に冷え/\と 夜半の月照る ※ 出動準備する 九、一〇 皆同じ 笠に麦入れ 青田縫い 仕事を終えし 土民ら帰る 九、一一 梢なる 展望台の 端近く 紅き一葉 秋の陽に映え ※ 分哨の一ときなり 九、一二 交代し 東の地平 明るきを 二十三日の月 昇り来ぬ 九、一四 暁近く 動哨す 吾が軍靴の 冷えし夜露に しとゞ濡れたり 九、一四 手際よく 丸太を切りて 道のべに 秋の陽浴びつ バリケード造る 九、一四 立哨を 了えし一とき 煙草点け あかとき近く 虫声を聴く 九、一六 部落毎 鉦など叩き賑しく 土民等拝む 皆既日蝕 九、二一 丘に向け 射撃加え 答えなく 駄馬を挽きゆく 土民ら止む ※ 軍の横暴なり 九、二二 黒ずめる 拳銃小銃 一列に 壁に懸かれり 保安隊宿舎 ※ 軍に協力している中国方のもの 九、二二 真西なる ま黒き杜に 淡赤き 半月隠る ○時四十五分 ※ 何か意味があったのかな? 九、二七 黄ばみたる 田畑を渡り ニの部落 ホの部落に 夕靄流る ※ ニ、ホは警備上の符号か 一〇、一 陵線を 退き行く敵に 対峙しつ 田の畔に見る 紅き撫子 ※ 風流を忘れないなり 一〇、三 先刻の 地雷に頭部 傷つきて 喘ぎ居し兵 遂に息絶ゆ ※ 合掌 一〇、一〇 薄暗き 戦野をしぐれ 哨舎打つ 雨足冷えぬ 虫声細り 一〇、一〇 秋の陽に 十字鍬振る 一ときの 虚無の心を 吾は懐しむ ※ 作業している無心の一ときを 一〇、二〇 註 昭和十六年も終わりなり。この十二月八日に日本は、太平洋戦争に突入し、破滅の途をたどることになる。 確か漢口に居てこの報に接したと思う。何と無謀な戦争を始めたと感じたが口には出せず故国からも特にこれの便りなかった様だった。 これで戦場での二年は過ぎ、近時歌作りも次第に情熱を失いつつあるやに見える。二年位で帰還できるかな、三年位かなと思っていた矢先の大戦突入により、いよいよ先が見えない覚悟をせざる得なくなった事を覚えている。 このころから漢口に駐留となり小隊指揮班事務担当となる。 街に馴れ 去年の秋なり 前線の 警備に就きし あの頃偲ぶ ※ 漢口駐屯となる 一七、一、九 事務室の 小さき火鉢の支那炭に 代用食の パン焼きて食う 一、一一 冬陽射す 静けき午後の 事務室に 武漢地区輸路 要図を作る 一、一一 手を拍てる 音静かなり 平穏の 漢口に居て 慰問芸聴く 一、一八 戦える 吾等の血激つ ニュース映画 内地もさこそ 一、二〇 淡闇の 街を伝いて 朝毎の 点呼に響く 時計台の鐘 ※ 都会での日常勤務、何だか明るくなった様な気がしている 一、二五 帽子取り 汗を拭き/\ 冬木立 舗装路走る 洋車 疾し ※ 洋車=都会の風物詩の人力車 一、二五 兵隊チャン 坊の宅へ いらちゃいなと 漢口神社に ※ 居留民の子供との対話、一とき愉し 一、二五 動哨の 靴音寒し 更けし夜 事務所に在りて 独り本読む 二、 五 二年前 訣れし姉の すこやけく 嫁ぎしなりと 母の便りに ※ 姉が結婚した。戦場に在りては何の相談もできない 二、 五 在支年限 四年に近き 分隊長ら 帰還の話しす 朝のひととき 二、一〇 音高き 四輪駆動の 転把執り 馬車繁き 街を走りぬ 二、一〇 討伐ゆ 帰りし兵か 背嚢に 紅梅差して 氷雨むる街に 二、一一 朝早し 寒風荒ぶ 「孫文」の 銅像前に バス並び居り 二、一一 東風に 気球浮かべり 華人見よ 「日軍猛烈突入新嘉披」 ※ 太平洋戦争拡大する 二、一一 肇國の 大理想いま ジャングルに 皇旗を掲げ 戦車進みぬ ※ 「大東亜戦争と稱した」街でニュースを観る 二、一五 軍事郵便 区分けをせしに 中支那の 兵隊さんとふ 便り出て来ぬ 二、一五 藍色に 軍服交り 早春の 長江渡り 連絡船到く ※ 長江のスケッチか 三、 二 そこはかの 食物並べ 春浅き 濁水よぎり 民船漕ぎ来る 三、 二 昏れかゝる 長江覆い しぐれ居る 雨足繁し 濁水の面に 三、 二 陽を浴びて バンドに来れば 街路樹の 柳は青き 芽を萠きてあり ※ 外国租界のふんいきがすきで度々出かけた 側車で危うく大事故になることもあった 三、一五 春暖の 仏租界行き ケーキ並ぶ 茶房に入りて 支那饅頭食う 三、一五 楽隊を 先頭に立て 花の駕篭 仏蘭西租界の 春光を行く 三、二二 仏租界の ヘーゼルウッドに 紅茶喫む 兵ら四、五名 吾も交りて ※ ヘーゼルウッド=茶房 三、二二 明日もまた 元気で働き くださいと 前線放送 時報終れり 三、二五 街角の 外灯淡し なお冷ゆる 更けし車廠に 遠蛙聞く 三、二五 久方に 行動に来て 武漢野の 若葉の緑 いたく眼に沁む 三、三〇 対岸の 武昌かすめり 春の陽に 長江広し 江岸に立つ 四、 一 春陽の 江岸戦友と 歩み来て 長江桜 しみじみと見る 註 四、 一 この後長らく短歌も作らなかったのかぷっつりと切れている。 何故か不明なり。九月一首、十二月に六首のみ記されている。 母も不安で淋しかったことと思う。 屋根を打つ 豪雨に冷えて 明近く 蚊帳ぬちに在り 布団を被る 九、一〇 暁雲に 雁列増えつ 朝毎に 長江枯野 霜深みゆく 一二、八 只管に 体健やけく 大皇軍 中支那の野に 三年過ぎゆく 一二、八 新刊は 入手し難しとか 前線の 街の本屋に 「改造」購う ※ 何処だったのか 一二、二〇 銃火器は 空に向けつゝ 冬雲の 洞庭湖上 砲艦浮かべり 一二、二二 四とせ余を 南支の土に 戦いし 友恙なく 帰還せしとう ※ 大同時代の幸君のこと 一二、二三 霜凍る 桟橋踏みしめ 泥に濡れ 燃料積載す 洞庭湖畔 一二、二六 註 この後ぷっつり切れている。作歌の意欲が無くなったのか、あきらめの心境のように思う。 戦場に三年を過ごしていつ帰還できるか目途がたたない。太平洋戦に突入してまる一年経過、その頃まではまだ戦況も良かったが、十八年に入り次第に悪化す 自分等の部隊でも南方へ転進するものもあり、 いよいよ風雲急を告げて来ることになる。 昭和十八年三月頃 雪下に 青木芽萌えて 春浅し 春雨の 情緒古りて 四春過ぐ 氷雨衝き 春季攻勢 進み居り 春雨の 仏蘭西租界 花の駕篭 朝靄に 滑走路見えず 旋回す ※ 近くに飛行場があった様だ 霧深し 爆音高く 接地しぬ 霧深し 砲身徐々に 角度変え ※ 対空砲火の 大和路に 探りし梅の 香あまき ※ 思い出を 春時雨 対空監視の 兵不動 江岸の 桜美し 去年偲ぶ ※ 長江岸のこと 四年前 母と歩みし 大和路の 古き都の 梅の香あまき これにて、戦場から便りとともに送りしもの、終わりとする。 あ と が き このたび巻頭に述べたいきさつにて、ノートに記しておいたものを、妻のたっての希望により、弟(健二)が好意的に大変な作業をお得意のパソコンにて印字し、丁寧にルビまで付けて文書に纏めて呉れたことを、深く感謝するところである。 さて、巻末に当り、当時自分が置かれていた状況を極く簡単に振り返っておくことにしたい。でないと当時の情勢を知らない世代には理解に苦しむことと思う。 当時、戦場に征くまでの自分は、昭和十年富山の商業学校を卒業して大阪の小商社に就職し、ようやく一家の働き手となり、姉はそれ迄に就職していたが妹も同十二年に女学校を卒業し大阪に就職し、弟は在学中であったが転校、母もそれ迄の長年の郵便局勤務を退職し住みなれた富山を離れ大阪の吹田に家を借り、一家が漸く一緒に平穏な生活が営める様になった昭和十四年頃であった。 がしかし、國の情勢は昭和七年に勃発の満州事変から支那事変へと大きく動き、非常戦時態勢となっていた。この様なときであったが、自分ながらに充実した日々を送っていた。 その矢先に或る日突然、補充兵としての臨時召集を受けた。当時国民としての兵役の義務は勿論あるが、自分は徴兵検査は第二乙種であった。当時の自分としてはスポーツもそこそこやり、体格には自信があったので、家庭状況により第二乙であったとして召集はどうかなと思っていた。 しかし国家命令は絶対である。急遽覚悟を決めて歓呼の声に送られて命令に従い、昭和十四年九月二十三日、東京目黒の近衛輜重兵聯隊へ入隊する。配属は自動車中隊であった。せめてもの幸運と思った。そこで初めての経験自動車兵としての教育訓練。苦しみも楽しみもの三ヶ月を過ごす。同年末に無事教育終了、即外地の戦場へ向かうことになる。之も既に覚悟していた事であり、当時の戦局は割合落ち着いていたので大して悲壮感もなかった。 年末近く軍用列車にて東京を出発、大阪を経由(吹田では家族の見送りを受ける)広島にて乗船、日本を離れる。一路中国上海から南京へ、同地にて二〜三泊また乗船、長江を遡上し九江に上陸、汽車にて漸く任地の修水に到着する。『ここはお國を何百里であった』 早速現地の部隊に配属される。 何しろ気候風土の異る地にて、まして新参兵には戸惑うことばかり、苦労の連続なり。一〜二ヶ月は夢中で早く戦場の部隊に慣れる様一生懸命、いわゆる軍務に精励するのみ。 だがそのうち昭和十五年三月、大陸にも漸く春が訪れる頃となり、自分にも幾分余裕らしきものが出来てきたのだろう、軍務の許される範囲においていろいろ考えることもあり、何か心の拠り所と戦場の殺伐な日常の生活に希望をもてるようにと考え、以前から万葉集、唐詩選、アララギ、啄木等を読んでいたこと、また学校時代に支那語(中国語)を多少学んでいたこともあり、大陸の自然を、戦場の日常の折々を観察して、また心に触れたことを自己流の短歌にして、家郷への便りにしておくことを思いついたのだろうか。 昭和十五年春頃から作歌、種々な事象を感情を捉らえながら、こまめに詠んだものと思う。全部で三百二十六首を数える。が太平洋戦争突入以来、同十七年に入り、軍務多忙になり意欲が消えた様だ。書中の注記のとおりの心境だったのだろう。永い戦場の苦難の日々の中にも愉しみを見出しながら。 ちなみに、応召中も会社からの給与は従来通り留守家族に支給されていた。 そして漸く十八年の暮に無事帰還することが出来た。 翌年一月に弟(健二)が自分と入れ替に応召。戦局は非常に悪化しており、悲壮な入隊であった。何しろ大変な時代なりき。 以上当時を回顧し乍ら吾が青春の一コマを綴ったが何時の日にか吾が子、孫、ゆかりの人がひもといて想い出して呉れたら望外の幸である。 思うこと 戦後五十年に当たり、この書を出すことの感慨ひとしおのものあり。 先ず亡き母が書き遺しておいてくれた巻物にてこの書を作ることになった。これを是非霊前に供えたい。 ところで、この歌集を見る限り生死をかけた戦場の悲惨さはあまり感じ取れない。何か長閑な紀行のようでもある。事実自分の配属していたその時期の自動車輸送部隊の行動範囲にもよるが、中国大陸の戦場はこのような様相であった。しかし、それ迄の中国戦線に於ては、後日に知り得た事だが南京攻略其の他に於ては、相当な残虐行為もあった様だ。自分が南京に滞在した時はその直後であり、何かしら異様な雰囲気を感じた記憶がある。 戦時中の日本軍の野蛮行為、従軍慰安婦問題等も事実であろう。 だがしかし其後の太平洋戦争に於ては当時の世界の先進大国を相手にしての戦争行為は巷間広く伝えられている通りのものであり、昭和十九年から二十年にかけては各戦線で沖縄で敗戦に次ぐ敗戦を重ね、国内に於ては主要各都市、地方都市へも空襲爆撃が相次ぎ、母、姉も富山市において大空襲の悲惨な目に遭い命からがら逃げてきた経験を持っている。 自分は其頃は京都府大久保にて軍需会社に勤務していた。連日のごとく空襲の大編隊機が遥か上空を通過して行くのを眺めたことを思い出す。 遂に二十年八月に広島、長崎にて留めをさされ無条件降伏、敗戦即ち終戦となる。終戦後即アメリカ軍に占領されその軍政下に置かれる。そうして、自由と民主主義を押し付けられ、日本の政治、経済、思想の大改革が行われた。 此の事は国民にとって非常に幸福であったと思う。若し他の戦勝国が占領していたら事情が変わっていただろう。当時の日本は仕事が無い食糧が無い国民は四苦八苦の生活を余儀なくさせられていた。毎日が生きるのに精一杯の日常だった。これらの事はその時代を生き抜いてきた世代には決して忘れられない事である。 ここにして思うことは、とにかく人生の運不運は何としても避けられないこと、自分はこの年齢まで幸運に生きて来られたことを感謝したい。戦時中は軍隊で自動車の技術と操縦を修得し、兵士で過ごしたお陰で南方戦線へも行かずに無事帰還出来たこと、京都に勤務したことにより妻とも巡り会えたこと、つくづく人の才能努力もさることながら、運命の不思議を思うものなり。 以上思いつくままに筆を走らす。 平成七年二月 内 田 悦 平 追 記 此の年初、一月十七日未明に近畿神戸を震源とした大地震発生。 自分も未だ経験したことの無い激震に襲われる。当地で震度五、神戸地区で震度六〜七の模様。 日を追うに従って災害の様相知らされる。死亡者五千三百余名、負傷者二万六千余名、被災者二十数万人と、戦時中の空襲災害にも匹敵する大災害である。何しろ身近なだけに衝撃なり。之が昨年だったら岡本氏娘家族等の事を思うと慄然とする。 感慨無量なり。運命の不思議を思う。 繰返す 人の命の 運不運 後世への警鐘としたい。 平成七年二月十七日 ¢
続く
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