『主夫』終わりました 1 

(1997.10.13)
 平成9年12月26日、妻(泰子)が 68才の生涯を終えました。

 当日朝9時過ぎにいつもの通り手当てをしようと、声をかけたんですが、
 目を閉じたまま応答がありません。

 直ちに救急車で日赤(日本赤十字病院)に走りました。が
 そのまま目を開くことなく午前10時48分、慢性心不全で息を引き取りました。

 私、始めて人の死に立ち会ったのですが、信じられないくらいあっけないものでした。
 ここ一ヶ月あまりは、鼻からのチューブによる栄養補給しか出来なかったため、
 心臓も呼吸も徐々に徐々に 衰弱していたのです。

 最期はまさに 燃え尽きたという感じです。
 「長い間よく頑張った ご苦労様でした もうゆっくり休んでいいよ」
 まだ温もりのある手を握って そっと伝えました。

 病床にあった15年3ヶ月、過ぎ去ればあっと云う間の歳月でした。
 彼女のにとって人生は 昭和57年9月脳内出血で倒れたときに 終わったのです。

 手術や治療によって 命は助かったものの、極一部を除き 過去の記憶は一切消えてなくなり、
 新しい出来事も その場限りで記憶に残らず、思考力も働かず、心の箱は空っぽのままでした。
 思考力 判断力 を無くした妻の第2の人生は、自らの生きることのために
 精いっぱいの努力をする事でした。

 私は、新しい人生観を貰いました。

 妻の亡くなった晩には親戚がみんな集まってくれました。
 何がどうなるのか全て葬儀やさん任せ交渉は娘がやってくれました。
 私は頭が空っぽになったみたいでぼーっとしていたようです。

 3日目は葬儀場に移してのお通夜です。その前に、洗い浄められて棺に収まる時、
 娘が最後の贈り物だと言って着せた最高の衣装、そして化粧を施された泰子は、実に美しく、
 微笑んでいるようにみえました。

 この日のお通夜にはは親戚だけではなく、お知らせした関係の方々が大勢見えました。

 4日目の12月29日 お葬式です。飾った遺影は元気な頃の微笑んでいる
 カラー写真にしたところ雰囲気が明るくなったようで好評でした。

 棺の泰子に花を捧げて下さった方々、
 「きれい 元気なときの泰子さんとかわらへん」  と

 棺の蓋をするとき、最後のくちずけをして
 「さようなら は云わない 先に行って 待っててくれよ」

 年末の慌ただしいときなのに本当に多くの方々がお別れに来て頂きました。
 火葬場で待つこと1時間、私が喉仏を箸でつまんで骨壺に納めました。
 私の腕の中でカタカタと音をたてていました。

 泰子が亡くなった時から、涙をこらえながら気丈に振る舞ってきた娘は、
 遺骨を前にして、私の肩に寄りかかり思いっきり泣いていました。

 私、涙は少しは出ましたが不思議に あふれる程はでませんでした。
 見栄や体裁ではないんです。
 私の涙は 妻の病気が治らないと聞かされ 
 在宅介護が始まる直前の13年前に思いっきり泣いて枯れていたのです。

 泰子が亡くなってからお葬式まで本当に慌ただしい4日間でした。

 それからお正月までの4日間 娘の家族全部が私の家に泊まり込んで呉れました。

 あと 一人になりました。

『主夫』終わりました 2 

 



                                (1998.3.9)
 妻と二人だけの家族、病気の妻に代わって私が家事一切をやってきたので
 「主夫」を名乗ってきました。 「主婦」の代わりだから「主夫」。
 本来の主婦が亡くなり家族関係も消滅したのだから「主夫」が終わったのです。

 一人になった今、これからは自分自身のためにだけやるのだから 家事とは云わない。
 でも、実際の日常生活では妻の介護が無くなっただけで、
 今までと全く変わらないんです。が 「主夫」してます は 終わりました。

 私の「主夫」体験に、多くの励ましを頂いたこと、あらためて感謝します。
 私、「主夫」を通じて大事なことを教わりました。

 それは、男のくせに、女のくせに、というそれぞれの領域を示す高い壁が、
 今では簡単に行き来ができるごく低いものになっていることでした。
 そもそも男性・女性の区別はあっても 差別は無いんです。それを混同すると云うよりも 
 差別の方が強調されています。

 男だから女だからと云う前に人間であり、身体の特徴を除いては全て平等なのです。

 私は今一人になり客観的には寂しい立場です。しかし私には仲間が居ます。

 娘の家族、「にしうら」の編集に関わる人達、
 インターネットで全国から寄せられるメール友達、
 朝の交通指導を通じての子ども達、勿論地域の人達みんな私の仲間です。

 この仲間のつながりを保ち得る限り 私の孤独感は癒されます。

 泰子は今、お骨はお墓に納めました。
 一部は泰子の生家にある両親や先祖の墓地に撒きました。
 そしてもう一部は、カプセルに納め私と娘の胸にぶら下がっています。
 どこへ行くのにも一緒です。

 幼い子供のようになった妻とともに過ごした15年間、私の体験記です。
 「主夫」してます を 終わります。

 本を作るにあたり、編集 校正・レイアウトは、全て娘がやってくれました。

 また印刷製本は、日頃「にしうら」の発行でお世話になっている
 大京印刷さんのご好意に甘えました。

 皆様のご好意と励まし 本当にありがとうございました。

 これからは パソコンを活かして 少しでも人々のお役に立つよう務めます。

 見守ってください。                   (あとがきにかえます)

  平成 10年 12月                   内 田  健 二