25 やー チャコちゃん 結婚したの
娘の結婚に贈られた結納品を前に
花嫁姿の娘を見て 涙・涙・涙
寝たっきりの妻には、テレビを観るのが唯一の楽しみなのでスイッチはいつも入れっぱなし。
始めの頃は何でもよかったのに今では嫌なものになると
「何でこんなことやるの いりません」
少しは自己意識が出てきたのか、
そのくせリモコンが手元にあっても自分では操作しないで 人任せ。
喜びそうな番組の無いときは娘の結婚の時のビデオをいれます。
それが何回見ても初めてって感じ そして
「チャコ 結婚したの?」
「結婚式の日 花嫁衣装着て泰子に挨拶してたじゃない。
泰子は しっかりやりなさいって 手にぎって涙流してたでしょ」
「知りません」
18歳のときから病気の母親に代わって、家事一切を引き受けていた娘。
結婚条件としてハンディにならないかなって気になっていたのですが、この度縁がありました。
娘の選んだ相手は、松岡良秀君。同じ町内で食品会社を営む松岡賢二さんの長男。
実直で優しい青年です。
つき合って僅かの間でしたが意気投合したようです。
平成元年11月18日に結婚しました。
娘の結婚は母親にとって最大の出番です。
それが出来ないどころかそのことを聞いてもその場限りにしか理解できない妻の立場を、
かわいそうに思いました。
結納から結婚式や披露宴の段取りなどを気丈に一人でやっている娘をみて、
体が動かなくても意識さえしっかりしていたら、母親に相談できるのにと思いつつ、
『主夫』してるとはいいながら、父親ってこんなとき弱いなと思いました。
娘は、結婚式に参列出来ない母親に見てもらおうと、
家で白無垢の花嫁姿になって妻に挨拶しました。
妻は、娘の手を痛いほど握りしめながらボロボロ泣きました。
うれし涙なんでしょうね。病気になってから初めて見せる涙です。
それまでどんなことを聞かされても感情が出なかったのに、
この時ばかりは一瞬意識が戻ったのかと思いました。
が、涙を見せ感情をあらわにしたのも、その時だけでした。
後日、妻は自分が元気なときに仕立てておいた花嫁衣装、
それを着て登場したビデオの中の娘に
「やー チャコちゃん 結婚したの こっち向いて 顔見せて」
自分が仕立てた花嫁衣装だという記憶はないのです。
目の前の現象と画面の中の現象との区別がないのか画面に向かってしきりと声をかけています。
そして 何回同じ画面を見てもそのときが初めてなんです。その都度
「やー チャコちゃん 結婚したの」
26 70歳は人生大きな節目
昔、70才は〃古希〃といって古来希な存在とされ、仙人をイメージした希少価値。
高齢化社会の今、教養趣味を求めて余生を楽しむ70才は、普通の存在となった。
平成5・3・19で70才になった私、還暦60の節目では別に気にならなかったし、
自覚もしなかったのに、最近、じゃま臭い根気が続かない、よく度忘れする、
朝起きたとき節々のこわばり、を覚えるようになった。
70才は気力体力の変換する大きな節目であることを実感。
自分はまだまだと思っていたのに、人間70年もやっていれば何らかの老化は当たり前か。
だからといって放っておけば老化はますます進む。少しでも遅らせる努力をしようと思う。
「若い者に負けない」とか「若い者に任せられない」とよく言う年寄りがいる。
自分自身の生きがいとしてはいい。
が言動に現わすのは周囲の迷惑も考えない単なるでしゃばりに過ぎない。
世間的に役職を持っている人や政治家に多い。70は老化を自覚する歳。裏方に徹したい。
70才、身体の老化はやむを得ないので、せめても心の老化を少しでも遅らせるため、
私、今までがそうであったようにこれからも、
何事にも「少年」のように好奇心を持ち「主夫」をしてじゃま臭さがらない人生を過ごそうと思う。
私には孫が居る。パソコンがある。老化を遅らせる手段を持つ幸せ。
27 70歳の節目も豊にしよう
70歳を、一つの節目にしようと思って宣言してからの私 少々複雑な心境です。
会う人ごとに
「もうそんなになったなんて とても見えないですね」
「いやー どうも」
お世辞だとはわかっていても
若く見られてるのかな って内心の嬉しさを押さえて照れています。
特に女性に云われると、ドキドキすることも、いい歳してって笑われそう、生身の証拠かな。
若く見られるってのは、男女を問わずいくつになっても悪い気はしないですよね。
カラオケ同好会のメンバーにKさんやMさんがいます。
歌は〃懐かしの…〃が多いけれど声にはまだ張りがある。
私よりは年下だと思っていたのに同年でした。若く見えます。
カラオケそろそろ卒業かなと思案していたおり、頼もしい同好の志です。
月に一回女性の歌声に聴き惚れながら、70を忘れて続けよう。
十数年前、商売道具の一つとして覚えたパソコン操作。
今では「にしうら」の編集全てやれるようになった。
若い編集仲間と一緒に
「今月はこの記事いれよう」
「配置はこれがトップだ」
「写真はこの方がいい」 など
討議の末出来上った紙面に満足。コーヒータイムに一つを別室の妻に運んで、
そのあと若い人達と時世を論議。ここにも70を忘れる一時があって楽しい
私の70歳を、自分で年寄りの部類にしようとする節目の考え止めようかな…。
日々 孫の進歩に顔ゆるみっぱなしの じじ(親)バカぶり
28 10年毎の人生の節目
人生には幾つもの節目に遭遇する。私にはほぼ10年毎に節目がありました。
そして今この70年の節目がいちばん大きく感じます。70年の歳月は長いものです。
30年前にこの西浦町に定住し、40年前に今の職業に就いた。
そして50年前には徴兵検査があった。
50年前の20才は戦中末期、小学生時代から教育勅語で育てられ、学校では軍事教練が正課。
男には否応なしに兵役に就く義務の徴兵制があって、20才になったら徴兵検査を受けた。
これが今の成人式にあたる。この検査に合格して一人前、不合格は肩身の狭い思いをしたものだ。
徴兵検査に合格して入った軍隊では、軍人勅諭で厳しく鍛えられる。
このように軍国主義思想を至高のものとして徹底してたたき込まれ、
ひたすら尽忠報国、それで死んだら(戦死)神に祭られることを最高の名誉とした。
そして、軍国思想以外の自由思想は知らず知らされず知る機会も阻まれた。
たまたま識り得たとしてもそれはタブーであり、主張する者は国賊扱いされた。
今から思えば、思想の自由も考える自由も許されない、いわば暗黒の時代でした。
私自身、自由思想は軟弱であり軍国主義こそが日本のためには最高のものと信じて、
ひたすら軍務に励んだものでした。私の年代のほとんどはこのように過ごしたはずです。
50年前の20才 私が大人になった節目の世相です
戦後 一転して民主主義 自由・平等・博愛
私「主夫」してます って云えるのは、民主主義の世の中だから ですね。
5月12日 看護の日
入浴サービスを受ける妻に付き添いながら …
29 20歳の節目は軍国主義の真最中
若い人達に50年前の世相の話しをしたら 一様に
「エーッ信じられない」 でした そうでしょうね。
自分の自由な意志や主張を出し合い、相談しながら物事をきめようという、
民主主義の今の世相とは全くかけ離れているのですから。
これが再び逆戻りしないためにも、しっかり事実を知っておいて欲しいと思う。
家庭では、父親は家長といって権利は絶対、その言いつけには背けない厳しい躾、
時には勘当といって親子の縁を切って追放もありました。
学校では先生のいうことをきかないときは、体罰されるのは当たり前のこと。
きわめつけは軍隊、上官はもとより古兵(少しでも先輩の兵隊)の命令は絶対
「上官の命令は天皇陛下(ここで身体を硬直させた直立不動の姿勢になる)の命令と思え」
ですから。
少しでも背けば厳罰、反抗とみなされたときには死さえも意味したものです。
だから政治を批判するなんてもってのほか。
知らしむべからず拠らしむべし≠ナ、
徹底した情報のない時代だから批判のしようがないのが現実。
もし何かの機会にこれを知って批判しようものならたちまち国賊扱い。
このように、全て上の人に従うことを道徳(人として進むべき道)としていた。
私なんかは当時それが当たり前と思って疑問も持たなかった。
権力支配者には好都合のこのやりかた、
今でも一部(特に人を指して「お前」という人の頭の中に)残っています。
私 今 『主夫』をして 自由・平等・博愛 民主主義の基本により近づけたって感じ。
30 妻のベッドはジャングルジム
例年にない梅雨の長雨 台風の通過とともにどうやら終わりらしい
そのあいだ、外で遊べない良太(2才5カ月)と奈緒美(1才1カ月)の孫二人とじっくりつき合った。
毎日昼時になるとママに連れられて「じいちゃーん」
そのまま妻の病室へ。
それまでうつらうつらしていた妻も、ニコニコ
「こっちへ おいで」
良太んは早速ベッドに駈け上がってはしゃいでいる。
奈緒美ちゃん ベッドの廻りをつかまり歩き 二人してベッドを登ったり降りたりくぐったり、
あげくには互いに「キーッ」「キャーッ」
二人にとってベッドの柵や手摺は、あたかもジャングルジムのよう。
とうとう5日ほど前、脇のテーブルを踏み台にしてベッドによじ登り、
良太んと一緒にベッドテーブルに立ち上がってバンザイポーズの奈緒美ちゃん、
危ないな思った瞬間バランスを崩して下までドスン
「ギャーッ」それも一時、あとすぐけろっ。
同じこと繰り返されてはたまらないので脇テーブルをのけたら、
元の場所へ置くようにとせがんでくる。
始めは喜んで相手をしていた妻も、時間の経過とともにいささか疲れて来た気配に、
「泰子さんネンネ」
というと二人してハンドルを回しながら寝やすい角度にベッドを倒したり枕をあてがったりのサービス。
自由と平等 そしてけじめ 幼児にどこまで当てはめるべきか、戸惑いながら接している毎日です。
31 妻と孫 お人形さんのとりっこ
長い 長い 長い 実に 長ーいトンネルをようやく抜けたような
雨 雨 雨 の末やっと仰いだ太陽。
これが本当の夏なんだ って、感謝したい今年の夏。
ちびっこプールはダメだったけれど 夏本番の中で楽しむことができた地蔵盆と夏まつりは、
夏休みを家の中ばっかしで過ごしたこども達には、最高のプレゼント。
色白のせいか いつも女の子に見間違えられるので、
この夏は日焼けして男の子らしく見られるよう と願ってた良太んも毎日家の中、
歩き始めた奈緒美ちゃんと追っかけっこしたり椅子からとびおりたり、
下の階から「静かにして」って苦情を受けてる親の気遣いにはお構いなく。
わが家では、病妻のベッドをジャングルジム代わりにするやんちゃぶり。
時にはいつも妻に添い寝している人形をとり除けて、替わりに自分が潜り込むことも。
ある時、いつものように除けようと人形の足を引っ張ったら、 妻の機嫌が良くないのか抱きかかえてて離さない、良太んも一生懸命引っ張る、 それでも離さない。 あきらめたかな、と見てたら暫くして二回目挑戦、
それもダメ、三回目も、ダメ 再 再 再 前から後ろから方法を変えながら攻略十回、 赤ちゃん(人形)を護ろうとする母性本能と、芽生えた自己主張を遂げようとする本気の対決、 仲裁するのも忘れて見てました。 さいごは妻の防衛勝ち。
二人とも やったーポーズ
今日は西浦町夏まつり。昨年までは車椅子で行った公園で、盆踊りの輪をながめたり、
声を掛けられて受け答えをしたりで楽しそうにみえたので、
今年も車椅子を準備して出かけようと、
声をかけたら、 「私行きたくありません」
少々ガッカリでした。
32 「おはよう」
「おはよう おはようございます」
今朝も子ども達が元気で横断歩道を渡って行った。
西浦町東北の位置、師団街道と第一軍道の交差点は信号はあるけれど
毎朝自動車の交通ラッシュ。
そして西浦町の児童が砂川小学校に通う唯一の道路。
私 毎朝ここで集団登校を見るようになってから20数年になる。
そこで信号待ちの僅かの時間に、子ども達と言葉を交わす。なのに
「おはよう」って声をかけても無言の子どもが意外と多いのは何故なんだろう。
照れくさい・恥ずかしい・じゃまくさい らしい。
じゃまくさい のほとんどは家でも
「おはよう」のやりとりがないらしい。
そして「いただきます」「行ってきます」もない。
中には顔も洗っていない子どもも いる。
なるほど「おはよう」「いただきます」「行ってきます」を云わなくても用は足りる。
でも私 返事がなくても「おはよう」って声をかけると、
一日が気持ち良く過ごせるから毎日呼びかけている。
私、たまに寝過ごして休むことがある。翌日には、すかさず誰かが
「昨日はどうしたん」
「うん 寝坊した」
「おじちゃんでも寝坊するの」
子ども達、私に おじいちゃん ではなく おじちゃん って云ってくれる。
日頃 遅れてきた子どもに
「どうした」
「寝坊した」
「明日から寝坊すんなよ」
って云ってる手前 自分の時は他の理由にしようと思いながら つい…。
やんちゃざかりの孫達も「おはよう」が返ってくるようになった。習慣にしたい。